おはようございます、ワラベシンです。

最近何をやってもやる気が出ない

なんとなく寝付けないしだるい
こんな人に言いたいことがあります。
状況を見直して逃げましょう!
具体的には
・まず仕事なり休んで病院に行こう
・必要であれば環境を変えよう
私は2020年(以下略)4月に転職を行いましたが、体調、精神的にきつくなり、7月いっぱいで退職しました。
現在は復職していますが、パートで時短勤務をしています。
当時は余裕がなかったのですが、今振り返ると貴重な経験ではあったと思います。
私自身当時を振り返るとともに、私のように悩んでいる方もいるかと思い、体験談を書くことにしました。
・本記事は体験談が中心となります。
・多少解決策等も提示しますが、参考にならない点もあるかと思います。
前提として、私自身は病院受診をしましたが【うつ】と診断されたわけではありません。
私の体験談

初めにことの経緯を時系列にざっくりと書くと以下のような流れです。
5月:妻の妊娠がわかる(喜ぶ)
~6月上旬:つわりが徐々にひどくなる
⇒家事・育児のほとんどを請け負う
6月下旬:時短勤務を依頼するも却下され絶望
7月上旬:心が折れて退職願いを出す
7月末:退職
妻の妊娠から少しずつ歯車が狂いだす
入職して1か月経った5月。
妻から妊娠したと報告を受けました。
我が家の待望の第2子です。とても喜びました。
この時は通勤や仕事自体にも慣れてきて、まさか3か月後に退職するとは夢にも思っていませんでした。
楽天のカードも変更して、楽天せどりを始めるぞ!と意気込んでいた時期でもあります。
徐々につわりがひどくなる妻
妊娠がわかり喜んでいたのも束の間で・・。
妻が徐々につわりがひどくなりました。
妻はいわゆる吐き悪阻で、食べても吐く、食べなくても吐く、起きても吐く、寝てても吐く。
こんな状態でした。
そんな状態でまともに動けるわけがなく、家事や育児の大半は私が行うことになりました。
通勤時間の都合上、保育園の送迎と息子の最低限のご飯の準備は妻が行っていました。
7時に出勤、19時に帰宅後の家事・育児
当時は通勤に片道1時間を要していました。
勤務時間は8時半~17時半です。
となると、朝は7時過ぎにはでて、帰ってくるのは大体19時頃です。
(定時退社の場合)
6月以降の私の家庭でのタスクは以下の通りです。
朝
・最低6時に起床し、自分の準備
・6時半に息子をたたき起こし、着替えやご飯の準備(できるだけ食べさせる)
夜
・ほぼ毎日買い物(妻は日によって食べられるものが変わります)
・息子の食事・入浴・寝かしつけ
・明日の保育園の準備
さらに定時で帰れない場合もどうしてもあります。
全く時間の余裕がありませんでした。
親に頼れない状況がさらに追い詰める

親に頼ればいいのに・・。
頼れる人は頼った方がいいです。
しかし、我が家の場合
私:親が県外。コロナ全盛の状況で呼ぶのはためらう
妻:親は県内(それでも片道1時間以上)だが、自営業のため長期の手伝いは困難
なかなか頼りにくい状況でした。
時短に切り替えれないか相談するもできず

給料は減るけど時短にすれば、なんとか乗り切れる
そう考えました。
状況は厳しかったですが、つわりはあくまでも一時的なもの。
妻の体調が回復してくれば、元の働き方でも大丈夫であろうと思い、6/22(月)に上司に相談しました。
結果は認められませんでした。
所属科のトップと総務の課長によると、【就業規則上、入職6ヵ月以上経過していないと取得できない】とのことでした。
入職6ヵ月は10月。3か月以上先のことなど、とても待っていられませんでした。
退職するべきかと葛藤
時短ができないと伝えられたのが6/25(木)。
この頃は

・せっかく転職したのにもう辞めてしまうのか
・退職したとしてどこに行くの?雇ってくれる?
こんなことを考えながら頭を抱えたり、ぼーっとしたりしていました。
寝つきが悪くなったのもこの頃からです。
いよいよ体調がおかしくなる
6/29(月)
休みが明け出勤するがどうにもおかしい。
電車を降りて職場に歩いていくんですが、動悸・息切れが強くなり、脈も速くなっていました。
仕事が始まると多少落ち着くが食欲はなくなっていました。
7/2(木)
通勤時の動機や息切れは続きます。
朝のカンファレンスが終わったところで、猛烈な嘔気に襲われました。
そして嘔吐しました。
保護者面談で号泣
7/4(土)
息子の通う保育園の保護者面談がありました。
この頃は一緒に買い物に行ったり、家ではご飯やお風呂を一緒に入るなどはしていました
しかし、一緒に遊ぶことはできておらず、YouTubeを見せている間に、自分のご飯を食べたり保育園の準備をしていました。

息子君のためにも、絵本とか読んであげてくださいね
結果、こういわれてしまいました。
「すみません。」と答えた次の瞬間には泣いてしまいました。
これ以上どうしろと?
そのあとも面談はあったのですが、正直覚えていません。
泣き顔で帰るわけにはいかないので、顔を洗って自宅に帰りました。
この時「もうだめだ」と思い、退職することを決めました。
上司へ、そして妻に退職することを伝える
7/6(月)
朝から動悸・息切れ・頻脈と不眠でフラフラしていました。
昼休みの前に科長に時間を作ってもらい、退職する意思を伝えました。
驚いてはいましたが、体調が悪そうなのは気にしてくれていたようで、労いの言葉をもらいました。
その日は科長からさらに上の上司に報告するにとどまりました。
7/9(木)
科長から呼び出され、正式に7月末での退職が決まりました。
この日以降は有休を使って、半日勤務をさせていただくことにもなり、今でも感謝しています。
昼休みに妻に電話をして退職すると伝えました。
ここでも妻の声を聴いた瞬間に号泣。
半休を取りながら月末に退職
その後は半日有休をとりながら、病院に通ったりして退職に向けた準備を行いました。
幸い、7月20日ごろから見かねた母が2週間ほど応援に駆けつけてくれ、家事全般全てを行ってくれました。
その後病院受診などを行いつつ、7/31(金)をもって退職しました。
傷病手当と失業給付の存在

退職に当たり一番の心配は収入がなくなることでした。
そんな時調べて解ったのが、傷病手当と失業給付の存在です。
なお、失業給付については過去記事に詳しく解説しているので、興味がある方はご覧ください。
傷病手当とは?
健康保険の中にある病気休業中の生活を保障する制度です。
被保険者が病気やけがのため仕事を休み、会社から十分な給料を受け取れない場合に支給されます。
傷病手当の受け取り条件は簡潔に下記に記載しています。
・在職中に連続で3日以上会社を休む
・連休中に病院に受診して働けない状態であると証明してもらう
・退職日は休む(公休や有休でよい)
手当の金額は退職前12か月間の給料(額面)平均の65%
最大で18か月受け取ることができます。
自営業者が加入している【国民健康保険】にこの制度はありません。
心と体はつながっている

退職を伝えて、勤務が半日になり、さらに母のおかげで家事の負担がなくなったことで変化がありました。
動悸や息切れなどの症状は徐々に改善し、8月上旬にはなくなりました。
要因としては以下のことが考えられました。
・勤務時間が短くなり、妻や子供の面倒を見つつ、自分のこともできる時間ができた
・母の手伝いがあり、家事の負担が大幅に減った
・上記2点により時間的猶予ができ、心にゆとりができた
健康ならやり直せる

お盆が明けてから就職活動を行いました。
2か月ほど無職の期間があり、その間にハローワークに通ったり、健康保険の切り替えなどを行いました。
10月からは自宅から10分ほどで通勤できるデイサービスで働いています。
なお、現在は妻の体調を考慮してパートタイムで働いています。
徐々にフルタイムに移行して、正社員になることを虎視眈々と狙っているところです。
まとめ

人間心にゆとりがないととろくなことを考えないなぁ、と思った体験でした。
私は幸いにも、本当に鬱になってしまう前に持ち直すことができました。
傷病手当や失業給付を利用すれば、2年程度はある程度の収入の保証ができます。
しかし、その後復職したとして前と同じように働ける保証はありません。

あ、これ俺のことかも・・。
と思った方は、ぜひ一度病院に行ってみてください。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
コメント